STAR WRITE DREAMのシロナガス様に書いて頂いた小説です。

内容は時期的に 「Silent Desire 1」 よりも前のお話で、コメディータッチになっております。


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失踪! カステイル
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1 急襲
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 軽快なひづめの音が馬車道に響いている。白い体躯を弾ませ、黄金のたてがみを風に踊らせる。二頭のセイルギャロップが御者に操られ、巨大な荷台を引き駆ける。
 アレスティア王国へと向かう馬車道は、両側を深い林に囲まれている。たとえ、真昼の今のように太陽が高くとも日差しは弱々しく、薄闇に包まれる道だった。一時期は盗賊が多く出没した道だったが、アレスティア騎士団の名が大陸に轟くようになってから、この道は安全な部類となった。
 老練の御者にとっては幾度となく駆けた馬車道だった。しかし、御者は呼吸をするたび、通常感じない奇妙な違和感を覚えていた。
 御者は巧みに二筋の手綱をさばき、二頭が気分よく走れるよう常に気を配っていた。一瞬、背後へ視線をやる。屋根付きの大きな荷台が揺れている。運びのプロとして、引越し客と積み荷は丁重に扱わなければならない。
「何も起こってくれるなよ」
 御者がひとりごちた瞬間だった。
 二頭のギャロップがいななき、速度を緩める。ギャロップは止まろうとしている――止まってはいけないと、御者の経験は叫んでいる。荷台が少々揺れるが仕方ない。御者は舌打ちし手綱を荒々しく振るう。
 直後、両側の林の中から無数の黒い影が飛び出してくる。
 御者は横目で影の姿を捉える。四本足で姿勢を低くし、馬車と平行に駆ける狼型の魔獣だ。
 馬車の速度があと少しでも落ちていたら、魔獣に取りつかれていただろう。
「一体何事だ御者!」
 御者の背後から男の声が響く。御者が目を丸くして振り返ると、男と女がそれぞれ、荷台の屋根に張りつくような体勢をとっている。御者は彼らの名前こそ知らなかったが、出発前に顔合わせはしていた。男の方は引っ越し客の中の一人で、女の方は客が雇った護衛だと記憶している。
 男の方は、東の国特有のハカマと呼ばれる格好をしている。年齢は三十代だろうか。体に密着していない布地が風になびいている。ポニーテールと似た、一筋に長く伸びる青い髪も暴れている。腰に携えた細身の剣も、東の国特有のものだ。
 女の方はかなり若い。まだ少女と呼べるかもしれない。彼女の姿を確認するなり紅一色が印象付けられる。真紅の髪に真紅の服。ブロンズ製の胸当ては、アレスティアの何でも屋と称される「ギルド」所属の者によく見られる装備だ。腰に差した幅広の剣の柄に手をかけている。今にも剣を鞘から抜きそうな格好だ。
 女は周囲を確認すると、高く通る声を発した。
「魔獣ハイドウルフ。この近辺には生息していないはずなのに」
「大丈夫ですお客さん! うちのギャロップの最高速はまだ上がる。あんな狼なんぞに――」
「ええい御者よ前を向けい!」
 青い髪の男に一喝され、御者が前を向く。
 薄闇の中、おぞましい光景が浮かび上がって来る。角の生えた熊のような醜悪な灰色の毛を持つ獣が、馬車の行く手を阻むように立っている。近付けば恐らく馬車より大きな体長をほこるかもしれない。
 魔獣の位置は、今はまだはるか前方だが、ギャロップの足にかかれば十数秒でその距離はゼロになる――、いやその前にギャロップの足はすくみ止まり、ハイドウルフの餌食となるだろう。
 御者の経験が、絶体絶命の警鐘を鳴らした。
「御者!」
 男の叫びが御者の真横から聞こえたかと思うと、男は次の瞬間には右のギャロップの背に乗っていた。一足飛びに屋根からギャロップの背へと移動したのだ。
「だ、旦那何を――」
「よいか、この馬を死ぬ気で操れい! 前のデカイのにぶつける気で走らせろ! それがお主の仕事だ!」
 御者の頭を混乱が飛び交った。
「なな、何言ってるんだお客さん! 衝突したらただじゃすまんぞ」
「止まれば狼の餌食だぞ。死にたくなかったら拙者の言うことを聞くのだ!」
 御者は手綱の微妙な揺らぎに気付いた。ギャロップが魔獣に怖じ気づいて、止まろうとしているのだ。御者はもうどうにでもなれと、手綱を振った。
「どうなっても知りませんぞ!」
「それで良い。頼むぞアーシャ殿!」
 屋根の上で女が短く返事をした。
 御者には男が何をしようとしているのか、アーシャと呼ばれた女が何を頼まれたのか分からなかった。
 今は自分が頼まれた仕事を遂行するだけだ。御者は魔獣と衝突するつもりで馬車を走らせる。
 魔獣の姿が次第に近付いてくる。仁王立ちした熊の化け物は、とてつもなく大きかった。十メートル手前で、魔獣の顔を見上げる形となりながら、馬車は最高速に達そうとしている。このままいけば衝突して馬車は木っ端みじんだ。御者の背後で、アーシャのかすかな声が聞こえてきた。何やら呪文めいた、長い言葉を呟いている。
「今じゃアーシャ殿!」
「ファイアーボールッ!」
 背後からアーシャの声が響いたかと思うと、御者の頭の上を、轟音と共に濃紅の火球が疾走していった。
 火球は魔獣の上半身に激突し、炎上する。魔獣が雄叫びを上げ、もがこうとした瞬間だった。
 魔獣の頭から股間にかけ、縦一閃の亀裂が走った。亀裂が輝きを帯びたかと思うと、次の瞬間、魔獣の体は左右に弾け飛んだ。
 道の両脇に転がった二つの残骸は燃え続け、さながら馬車の辿る道を鮮烈に演出しているようだった。
 馬車は最高速度で炎の道を走り抜ける。
 御者には何が起こったか分からなかった。走る馬車の前方に、青い髪の男が佇んでいることが、余計に御者を混乱させた。
 佇む青い髪の男はタイミングを合わせ、ギャロップの背、そして荷台の屋根へと飛び戻った。かがみ込むと、懐から取り出した紙きれで細身の剣を拭った。
「見事な腕だったぞ。アーシャ殿」
「いえ。ギンジさんこそ」
 御者はアーシャと、そしてギンジと呼ばれた男に助けられたのだと、理解した。
「御者! お主も見事な手綱さばきだった! 天晴れじゃ!」
 ギンジに言われ、御者は照れくさくなった。手綱をさばき、ギャロップの速度を緩めた。
 ――ハイドウルフは燃え盛る炎道を恐れ、散り散りに姿を消していた。

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2 馬車に揺られて
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 アーシャとギンジが荷台の中に戻ると、積み荷に囲まれた家族――スイール一家が床の上で寄り添い、かがみ込んで震えていた。
 ギンジが声を掛ける。
「もう大丈夫ですぞ、シュガール殿」
 一家の主、シュガールは丸々とした顔を上げた。
「良かった! 一体何が起きたのかと心配しました」
「魔獣が出たのだが、アーシャ殿のおかげで何とか切り抜けることができました」
「ナルホドそうでしたか……アーシャさん、ありがとうございます」
 シュガールが深々と頭を下げると、その妻シロプも礼を述べた。シロプの腕の中から這い出て、娘モンナが飛び跳ねた。
「シャーちゃんすごいねー!」
 シャーちゃんとはアーシャのことである。モンナは人に妙なニックネームを付けるのがマイブームだった。アーシャはモンナに手を握られ、顔を赤くした。
「いやー私なんか全然だよ。ギンジさんが凄かったんだから」
「そんなことはないぞモンナ殿。アーシャ殿の魔法は凄かったのだぞ。火の玉がブオーッ! と出てこーんなに大きな怪物を一発でやっつけたのじゃ」
「シャーちゃんすごいー! つよいー!」
 モンナが抱きつくと、猫の鳴き声が聞こえた。シロプが荷物の奥にある、長方形のケージを覗き込んだ。中では一匹の白い猫がケージに前脚を掛け、不安そうな声で鳴いている。
「あらやだプーチンの水が……」
「ナルホドこれはいけない。先程の揺れで容器が倒れてしまったかな。汲み置きの水がどこかにあったはずだが――ああ、アーシャさんはどうぞ、腰を落ち着けてください」
「アーシャ殿、そこの荷物を椅子代わりにしてください。ささ、そしてモンナ殿は拙者の膝の上へと!」
「嫌だ。シャーちゃんがいいー」
 モンナはアーシャの膝の上にちょこんと座った。キンジは低く唸り、うなだれた。
「シャーちゃん魔法使えるの?」
「う、うん。まだあんまり上手くないけどね」
「謙遜なさるな。素晴らしい炎だったぞ」
「あの、ギンジさんの『アレ』は、どうやったんですか?」
 アーシャは先程の光景を思い返していた。ギンジの剣閃が魔獣を一刀両断した。そして、魔獣の傷が光を帯び――。
「あれも一種の魔法ではある。じゃが拙者の場合はこのカタナがないと使えんのじゃ」
 ギンジは腰に差した鞘を握った。アーシャの見慣れぬ、細身の剣だった。
「カタナ、ですか。世の中には色んな武器があるんですねえ。感心しちゃいます」
 そこへ、シュガールとシロプ夫人が加わった。
「感心するのはアーシャさんの方ですよ。まだ若いのに一人立ちして。失礼だが、アーシャさんはおいくつかな?」
「十八歳です」
「ナルホド。というと、アレスティアの騎士学校を卒業仕立てということですか。いやますます感心だ」
「そんなことないです……本当に、まだまだ勉強中の身ですから」
 アーシャは遠慮がちに、うつむいた。長いまつげが円い瞳にかかる。ギンジが興味深そうに尋ねる。
「ところで、騎士学校とやらを卒業したら、普通は騎士になるものではないのか? ギルドで何でも屋をやるのには、何か理由でも?」
「これギンジ」
 シュガールが滅多なことを聞くもんじゃないと制す。しかしアーシャは笑顔で応えた。
「騎士学校を卒業して他の職業に就くのは、アレスティアではよくあることなんですよ。でもほんとは、私は騎士になりたかったんですけど……尊敬する先輩にアドバイスをもらったんです」
「尊敬する先輩? アーシャ殿に尊敬されるとは、大した男なのじゃろうなあ。どんな男じゃ」
 ギンジの追求にアーシャの頬が赤く染まり、目が泳いだ。シュガールは微笑ましいものを見た気がして、続きを促した。
「その人が言ってくれたんです。誰かに仕えたり、誰かの上に立つ人間になるよりも、今は色んなものを見て成長することが大切だって」
「うーむ。人格者じゃのう。会ってみたいものじゃ」
 ギンジが唸った。
「先輩――ライナス先輩っていうんですけど――ライナス先輩は騎士になった当時はあんまり強くなかったらしいんです。でも毎日訓練を重ねて、今じゃライナス先輩に憧れる後輩もたくさんいて……。私も毎日頑張っているんですけど、なかなか成長している実感が湧かなくて」
 アーシャは深い息をついた。
「今回のお仕事も、実は不安でいっぱいだったんです。まだ経験も浅いし、万が一魔物にでも襲われたらどうしようって――あっ」
 シュガール一家を見渡した。
 アーシャは今自分が言ったことを忘れるように頼んだ。護衛として雇われた身として、相応しくない発言をしたことにあせり、早口になるアーシャに、スイール一家は微笑んだ。シロプ夫人が柔らかい声を掛ける。
「あらやだ。いいんですよアーシャさん。素直でいてくれて。アーシャさんは命の恩人なのですから」
 アーシャはほっとした様子で、少女らしい、あどけなさの残る笑みを見せた。張りつめていた緊張が解けたようだった。

 馬車に揺られながら、話題はアーシャからスイール一家へと移った。
「ギルドで聞いたのですが、シュガールさんはお菓子屋さんをされているんですよね?」
「ええそうです。スイール家は代々お菓子作りをしています。今回の引越しで、アレスティアに店を構えようと思いまして。それで今回、護衛をギルドにお願いしたわけです。ナルホドでしょう」
 シュガールが説明すると、ギンジが得意気に言った。
「スイールのお菓子は世界一だ。伝統の味を守りながらも、各地を転々としながら常に進化し続けているのだ」
「へえ、すごいですねえ。食べてみたいなあ――あっ!」
「どうした?」
「もしかしたらあの魔物は、お菓子の材料の匂いに惹かれたのかもしれません」
「ナルホドそうでしたか。私たちは気付かずに危険な旅に出てしまったのですね。いやアーシャさんがいてくれて良かった」
 シロプが高い声を上げた。
「あらやだ、いいこと思いついちゃった。ねえあなた、アーシャさんのお友達も呼んで、試食会を開くのはどう?」
「ナルホドそれは良い考えですね。スイール家の味がアレスティアの人に合うどうかみるためにも、必要でしょう」
 こうして、試食会が開かれることとなった。アーシャは友人を連れて参加することを約束した。
 それからしばらく馬車に揺られアレスティアが近付くと、ギンジが呟くように言った。
「……何か、胸騒ぎがする」
「どうしたのですギンジ」
「いえ、何か、悪いことが起きるような予感がするのです」
 その言葉を聞き、アーシャは身構えた。しかしシュガールは笑った。
「ナルホドナルホド。ギンジ得意の、いつもの取り越し苦労でしょう」
「ジーちゃん心配性だもんね〜」
「確かに胸騒ぎがするのだが……」
 結局、何事も起こらずにアレスティアへと到着した一向だった。
「やっぱりじゃん。ジーちゃんカッコわる〜い」
「うーむ、こんなはずでは……」
 仕事を終えたアーシャは手を振りながら、試食会で再開することを約束した。

 試食会は一週間後である。そして、ギンジの胸騒ぎが的中するのもまた、一週間後である。

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3 試食会の準備
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 アレスティア城下町では、近日オープン予定の『スイール亭』は女性の間で話題となっていた。各種の店が立ち並ぶ、活気ある大通りにその店は構えられた。大きな窓から店内の様子を伺うことができる。感じの良い店長とその妻、それに可愛らしい娘が、一生懸命に開店を準備しているということで周囲の期待は高まっていた。
 開店準備中の扉は、普段は鍵が閉まっていた。しかし今日は違った。「関係者以外立入禁止」の札が掛けられているものの、スイール亭の扉はすんなり開いた。同時に、涼しげな鈴の音が鳴る。客が訪れたことを告げる音だ。
「お待ちしておりましたアーシャさん。後ろのお連れは、ナルホドお友達の方々ですな――おや、かわいい坊ちゃんもお連れで」
 シュガールが出迎えると、三人の女性がそれぞれ挨拶をした。
 一人はアーシャ、もう一人は騎士のエリーシア、そして魔法研究所に勤めるクリス。三人は騎士学校時代からの親友である。そして、エリーシアの袖を握っているのが、彼女の弟のルーファスだった。
 店内に入ると、菓子類の甘くそれでいて上品な香りが鼻腔を満たした。店の内装はしゃれたカフェのような、清潔な印象である。開店後は二人ないし四人用のテーブルが配置されるのだろうが、今は試食会用に準備されたらしい長テーブルが、一つだけ置かれている。白いレースのテーブルクロスが映えていた。
 奥にはカウンターを兼ねたウインドウ棚が横に伸びている。今はまだ何も入っていないが、ここへ種々のスイーツが並べられるのだろう。この場で食べても、持ち帰っても良いシステムにするつもりだと、シュガールは説明した。カウンターは右側が通れるようになっており、さらに奥には通路が続いている。
「試食会の開始までにはまだ時間があります。もう少しお待ちください」
「あの、実は今日の試食会なんですが、まだ参加者が増えるかもしれないんです。大丈夫ですか?」
 アーシャの様子を見たシュガールは微笑んだ。
「ナルホドかまいませんよ。大切なお友達は何人でも呼ぶのが一番です」
「ありがとうございます! あの、何かお手伝いさせてください」
「そうですか。ではお言葉に甘えて、お願いさせていただきましょうかな」
「あ、それじゃあルーファスはここで待っててね」
「ううん。僕もお手伝いするよ」
 その時、カウンターの左手、壁の上方から階段を下りる足音が聞こえてきた。どうやらカウンターの向こうには上り階段があるらしい。
「シャーちゃん!」
「あらモンナちゃん、久しぶり!」
 モンナが、カウンターに飛びつく格好で笑顔を見せている。ウインドウ棚を通して、薄紅色の可愛らしいワンピースが揺れている。おそらくそれに合わせた靴を履いていると思われたが、モンナの膝より下は木造りの土台に隠れて見えなかった。
 階段を下りる足音がまた聞こえ、モンナの左手からギンジが、げっそりとした顔で現れた。
「久しぶりだな。アーシャ殿……」
「う、ギンジさん疲れてますね?」
「拙者はスイールの料理に手出しはできんから、モンナ殿とプーチンの遊び相手になっておる……元気が良くてのう。年寄りの拙者ではついていけんのだ。誰か代わってくれんかのう?」
「あ、それならルー君をどうぞ!」
 アーシャがルーファスを前に出した。エリーシアはルーファスの耳元で囁いた。
「一緒に遊んであげなさいね、お兄ちゃん」
 ルーファスは笑顔でモンナに駆け寄り、カウンターを挟んで自己紹介をした。ルーファスはカウンターの中へ入り、二人は連れ立って二階へと駆け上がって行った。
「それでは皆さん、厨房へご案内いたします――ギンジはナルホド疲れていますね。少し休んでいなさい」
 カウンターを入るとすぐ左手には、二階へと続く階段があった。今頃ルーファスとモンナは子供部屋だろう。シュガールと共に通路を進んでいくと、シュガールは振り返り、「こちらです」と右腕を伸ばした。その部屋は温度が高く、甘い香りも強い。広い厨房だった。
「あらやだアーシャちゃん、お久しぶり。ごめんねお出迎えできなくて。手が放せなかったのよ。スイール亭伝統の銘菓、カステイルの下ごしらえをしていたの」
 シロプが厨房の銀台の上で生地をこねながら言った。小麦粉や砂糖類の入った容器が林立している。
「お手伝いしてくれるの? 助かるわ〜」
 エリーシアとクリスが中に入る。アーシャは通路の先が気になった。
「この先は裏口になっていますよ。一息つきたい時に使うのです。厨房は暑いですからね。ナルホドでしょう」

 十分ほどして、長テーブルの席に腰掛けたギンジが眉を上げた。
「おやアーシャ殿、どうしたのだ」
「エリーとクリスはお菓子作りにかなりの知識を持っている様子で、厨房で獅子奮迅の活躍を見せています。私の居場所がないのです……」
 よほどショックだったのだろう、アーシャは説明口調になっている。
「そうか。まあ人には得手不得手があるものだから、気にするでないぞ」
 その時、来客を報せる鈴の音が鳴り、心地好い風が店内に入り込んだ。
「へへ、あねさん。ついて来ちゃいましたよ」
 入り口の前に立っているのは青いバンダナを巻いた長髪の男、ゼライドだった。アーシャは頭をかいた。
「ゼライド、あんたを誘った覚えはないんだけどなあ」
「この疾風のゼライドの情報網を甘く見ちゃいけませんよあねさん。聞けば町の女の子の間で噂の、スイーツ店の試食会だとか。女の子にモテるためならたとえ火の中水の中――」
 一人ぶつぶつ言っているゼライドに、ギンジは困惑顔をする。
「アーシャ殿の客人か? 迷惑であれば叩き出すが」
「悩みどころですけど、かわいそうなので一応置いておいてあげてください」
 しばらくするとシュガールとシロプが挨拶に出てきて、ゼライドはペコペコと頭を下げていた。
「え? 厨房でキュートなガールたちがお手伝いしているんですか? ではワタクシゼライドも、微力ながらお手伝いさせていただきますよ!」
「ほっほ。ナルホドそれはありがたいですね」

 ゼライドのことだ、どうせ足でまといになるだけだと思ったアーシャだったが、中々どうしてゼライドは頑張っているらしかった。
「ふーむ。彼はかなり器用な男のようだな。アーシャ殿」
「ふん。どうせゼライドは女の子目的ですから。ちゃんと役に立ってるとは思えないです」
 椅子に沈み込み、アーシャは面白くなさそうだった。するとまた、鈴の音が鳴る。
「どうもこんにちは。お邪魔するよ」
 レオンとライナスだった。すぐにシュガールとシロプが出てきて、商売人らしい応対を見せる。
「ナルホドあなた方は騎士様でございますか。お越しいただけるとは光栄です」
 アーシャが立ち上がって笑顔を見せる横で、ギンジの表情は強張っていた。アーシャがギンジに話しかける。
「あの銀髪の、後ろの方に立ってる人が、この前お話ししたライナス先輩です」
「おおそうか。なるほどあの男が――しかしその前にいる茶髪の男は、ただ者ではないようだな」
「わっ! やっぱり分かる人には分かるんですね。あの人はレオン隊長っていって、騎士団の中でも最強とうたわれてる人です。アレスティアじゃ知らない人はいないんですよ。レオン隊長の顔を見ればどんな悪党でも逃げ出すってくらいなんですから!」
「ふーむ。最強か……気を付けなければ、な」
「え? やだなーギンジさん。レオン隊長は騎士なんですから、気を付けることなんて何もないんですよ」
「強い者は欲望も強くなるものだ。腹の底では何を考えているか分からんよ。それを実現するだけの力があれば尚更な」
 レオンは手土産のワインをシュガールに渡した。挨拶を済ませると、レオンとライナスはアーシャの方へと近付いてくる。
「ライナス先輩こんにちはー!」
「おやおや、僕は眼中にないってことかな? アーシャ君」
「そ、そういうわけでは……あの、ゴードン先輩はいらっしゃらないんですか?」
「誘ってはみたんだがね。ゴードンは甘いものが苦手らしい。きっと肉ばかり食べて鍛えてるから、あんなデカイ図体になるんだろうね――ライナスも少しはゴードンを見習ったらどうだい? 少しは強くなれるかもよ」
「いえ、私はアレスティアにはない味を探求しようと思いまして。やはり騎士としては様々な知識を求め、常に向上しなければなりません」
「相変わらず真面目だな君は。僕はもっとくだけた方が良いと思うんだが。アーシャ君もそう思うだろう?」
「えっ? いやあ、私は、ライナス先輩らしいなあと思いますけど」
 アーシャは、はたから見てもはしゃいでいるのが分かる様子だった。ギンジは咳払いをした。
「アーシャ殿、拙者のことを紹介してもらってもよろしいか」
「す、すみません。こちらギンジさんといって、スイール亭の……」
 居候というわけにもいかず、アーシャは言葉に詰まった。レオンが不敵な笑みを浮かべる。
「アレスティアに来る前の町は、相当荒れていたのかな? スイーツショップには似つかわしくない、達人クラスの用心棒のようだけど」
「光栄……とでも言えば満足かな」
 レオンとギンジが視線を交わし合った。何やら不穏な空気を醸し出す二人に、ライナスが割って入る。
「俺はライナスといいます。騎士としてはまだまだ精進しなければならない身ではありますが、今後ともよろしく」
 ギンジはライナスのことは気に入っているらしく、破顔して握手した。
「拙者の方こそよろしくお頼み申し上げる。この国はライナス殿のような騎士がいるおかげで治安が良いと、アーシャ殿から聞いておる」
 レオンは鼻を鳴らした。
「思っていたより人が集まってしまったようだね。突然押しかけて迷惑だったかな」
 ギンジが何げない様子で答える。
「なあに。気にするでない。スイール亭はお客様の味方だからのう。何百人でもどんとこいだ」
「そうかい。それは良かった。ふむ。おいしそうな香りがするね」
 レオンは厨房とテーブルとを行き来する、数人の姿を目に留めた。
「おやエリーシア君、それに君は魔法研究所の――そうクリス君といったかな。中々華やかな顔ぶれだ――おや?」
 レオンはゼライドの姿を認めて、ライナスに尋ねた。
「あれは『風の破廉恥男』ではないか?」
「私はそのような二つ名は存じませんが……。傭兵か何かですかそれは?」
「昔魔法研究所にそういう男がいたんだが、アーシャ君は彼を知っているか?」
「ゼライドはギルドの先輩ですよ。あんまり強くないってことで有名ですけど。あ、ゼライドは先輩ですけど私のこと『あねさん』って呼ぶんです。それで私もつい呼び捨てに」
「ふーん……人違いかな。まあ気にしないでくれたまえ。ところで試食会に参加するのはここにいる者で全てかい」
「あとルー君――エリーの弟のルーファス君が二階の子供部屋にいます」
 ギンジは微笑み、天井を見上げた。
「ルーファス殿には試食会の準備が済むまで、モンナ殿と遊んでもらっておるのだ」

 子供部屋では、ルーファスとモンナの笑い声が響いている。それに調子を合わせるように、
「ナァアオウ」
 飼い猫のプーチンも鳴いた。
「かわいいなあ。猫って人懐っこいんだね」
「猫じゃないよ。プーチンだよ」
「あはは、そうかプーチンか」
「プーチンはかわいいけど、いたずらっこなんだよ。前に住んでた家でね。すごかったの。お洋服をぐちゃぐちゃにしちゃって」
「へーそうなんだあ。それは大変だったねえ」
「だからプーチンはここのお部屋から出ちゃ駄目なんだよ。カンゼンシツナイガイっていうの」
「カンゼ――完全室内飼い? そっか。ペットを飼うのも色々気を付けないといけないんだね」
「ルーファス君は何かペット飼ってないの?」
「うーん、僕は体が弱いから。アレルギーとかもあってちょっとね……猫は大丈夫みたいだけど」
「あれるぎーって?」
「え? ああそうか、モンナちゃんはまだ分からないか。アレルギーっていうのはね――」
 ルーファスは生まれつき体が弱く、幼少より姉であるエリーシアに守られる形で育ってきた。その反動だろうか、ことあるたびに妹のように甘えてくるモンナが可愛くて仕方なかった。そうしてルーファスはモンナに合わせるように遊んだ。しかしモンナは、ルーファスもついていくのがやっとの元気さだった。さすがのルーファスも疲れ始め、プーチンはといえば、もうずいぶん前から眠ってしまっていた。
 ルーファスはモンナから、人形遊びがしたいとせがまれた。男の子が人形遊びなんてと、ルーファスは少し恥ずかしい気持ちがしたが、
「ルーファス君がお兄ちゃん役ね」
 モンナの一言で燃えた。
「うん! やろう!」
 兄役の人形と妹役の人形。そこへ生き別れの母や父のカタキや伝説のクモ男の人形が登場し、場は混沌を極めた。ふと、モンナが人形からルーファスへ視線を上げた。
「ねえねえ。ルーファス君って、お名前呼びにくいね」
「え? そうかな? じゃあ、ルー君って呼んでいいよ。みんなもそう呼んでるから」
 しかしモンナはそれが聞こえていないようで、何か楽しいことを思いついたような笑顔を見せた。

 一階の長テーブルの上には、色とりどりのスイーツの置かれた皿が並んでいる。
「どれが噂のカステイルなんですか?」
 アーシャが喜々として尋ねる。シュガールが答える。
「ふふ。ここにはまだ並んでいませんよ。メインディッシュとして厨房に置いてあります」
「どんなお菓子なんですかあ?」
「それは見てのお楽しみ」
「私たちは見たわよアーシャ、教えてあげないけどね」
 エリーシアとクリスが笑った。アーシャは膨れながら、それでも目の前に並んだ甘い光景に気をよくしていた。
「あ、そろそろルー君とモンナちゃんを呼びましょうか?」
「ああ、そうしましょう」
 アーシャはカウンターに向かって、山びこの格好をした。
「ルーくーん! モンナちゃーん! 下りておいでー」
 アーシャが言い終わるとすぐ、ドアの勢い良く開かれる音が聞こえた。ドタドタと激しい足音が響き、セイルギャロップのような勢いで二人が姿を現した。先にモンナ、続いてルーファスがカウンターから出てきた。モンナは甲高い声でさも楽しそうな笑い声を上げ、ルーファスはその場に崩れ落ち、肩で息をした。
「こーらルーファス危ないでしょう! お家の中を走るんじゃありません!」
 エリーシアがルーファスの頭を軽く叩いた。
「だ、だって先に下りないとモンナちゃんが……」
 モンナは嬉しそうに飛び跳ねながら、
「あたしが勝ったから、今からルーファス君のことスーさんって呼ぶね!」
「ううっ……」
 何ともおじさんくさいニックネームがついたものだと、一同は唸った。ルーファスはうなだれていた。

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4 試食会開始
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 試食会が始まると、歓声が次から次へと巻き上がった。スイーツを口にする度に、一同は感嘆の溜め息を漏らし続けた。
「美味しいですっ!」
 アーシャが叫んだ。
「このショートケーキ、クリームも美味しいけどスポンジ生地も凄く美味しい!」
 シュガールとシロプは満足そうに微笑んだ。
「まだまだ種類があるから、食べ過ぎてしまわないようにね。そちらのお嬢さんたちはどうかな?」
 シュガールがエリーとクリスを見た。
「優雅ね。このスポンジの柔らかさはまるで雪に舞う白さぎのように優しく、それでいて艶やかで……ああ、甘美なんて言葉では言い表せない祝福の味、子供の頃見た虹? いいえ、夢の色に似ている……儚い……そして涙……」
「素材は同じはずなのに、アレスティアのどの店とも違う濃厚さ……まさにプロの腕……どの魔法律もこのバランスには及ばないのではないかしら……この味を調合練成するには一体どれほどの精神力が必要なのかしら……」
 何やらぶつぶつ言う二人をアーシャはつついたが、まったく反応がない。まるで夢の中にでもいるようだ。
「ほっほ。ナルホドナルホド……まあ、美味しいということでしょうかね?」
 笑いながら去るシュガールに、アーシャは申し訳なく思った。いまだにぶつぶつ言っている二人を見て、ただ美味しいでは駄目なのだろうかと、首を傾げる。
 シュガールとシロプがテーブル上のスイーツを、バランスよく皆の前へ配り歩いていた。最高のもてなしだと、誰もが感じていた。
「おや、ナルホドアーシャさん、クリームがついていますよ」
「え? あらやだ、私ったらつい……」
 シュガールに言われ、アーシャは口の端をナプキンで拭った。できるだけ上品に振る舞ったつもりだったが、クリームがついているのは頬だった。その様子を見ていた隣のライナスはわずかに微笑み、アーシャの頬のクリームを拭き取った。アーシャの顔は赤く染まった。取り繕うように、質問した。
「あの、ライナス先輩はどうですか? おいしいですよね?」
「ああ。そうだな。俺は甘いものが得意というわけではないが、これはいくらでもいけそうな気がする……この味は本当にすごい。ここに辿り着くまでに一体どれほどの苦労を乗り越えてきたのか……血の滲むような努力が必要だろう。それはたとえるなら朝起きた直後にランニングをすることが実は体に悪いと知りながらも毎日数時間走り続けるような、そんな過酷さを我が物にしてようやく見えてくる伝説の大山を満身創痍の体で登り始めることを決意するような――」
「もういいです」
 アーシャはうなだれた。そうだ、ゼライドなら素直なコメントを返してくれるかもしれない。アーシャは斜め前にいるゼライドを見やった。
「ふーむなるほどやはり女の子にしてみればクリームよりもフルーツなんだな。それにボリュームよりも種類だ……そうかこの小奇麗な内装なら気軽にカフェに立ち寄る感覚で、しかも滞在時間を長くすることができる。その分豊富な種類を注文させることで満足感も増すという計算……いやしかしこれでは俺の財布がピンチじゃないか? 一人女の子を連れてくるとしたら予算はひのふのみの……」
 アーシャはうんざりして横を向いた。ルーファスとモンナが美味しい美味しいと言い合っていた。アーシャは救われた気がして、笑顔になった。すると向かいに座るギンジが渋い声を上げた。
「うーむ。どうやらお客人は皆、かなり専門的なようだな」
 アーシャは、みんなあれで美味しいって言ってるんですよとフォローを入れる。何の因果か、ギンジの隣にはレオンが座っていた。思い切って、アーシャはレオンに問いかけた。
「ね? レオン隊長も美味しいですよね!」
 レオンは目を閉じ眉間に皺を寄せ、ゆっくりとクリームを頬張った。
「なんてことだ……どんなに攻めても、逆に攻め込まれるような……これは錯覚か?……まるで、まるで神とチェスをしているようだ……これは窮地だ、私のポーンが、クイーンが、いいように踊らされている……!」
 もはや意味不明である。アーシャは彼らにコメントをもらうのをあきらめた。スイーツたちを口一杯に頬張りながら、ルーファスとモンナと美味しいね合戦を繰り広げた。
 ギンジも苦笑しながらスイーツを食べた。もう何年も食べ慣れた味だが、スイールの味は何度食べても止められない。その時だ。ギンジとレオンが同時に後ろを振り返った。しかし、そこにはカウンターがあるだけで誰の姿もなかった。ギンジとレオンが気まずそうに視線を交わし合い、咳払いをして皿に向き直った。他の者はスイーツの評論に夢中で、誰も二人を気にしていない。
「美味いな」
 レオンが言った。
「そうであろう」
 ギンジが微笑んだ。

 それから程なくしてシュガールが言った。
「さあそれじゃあ、スイール家に代々伝わる銘菓、カステイルを味わっていただきましょう――」
 シロプが厨房へ向かうと、一同はいよいよ色めき立った。
「いよいよね。スイール家伝統の銘菓、カステイル」
「やっとあのカステイルを食べられるのね」
「おそらく血の滲むような努力の結晶だろう。心して食さねば」
「まったく、今日はありとあらゆる駒から常にチェックされている気分だよ」
「へへ、しっかりレポートして女の子を誘わなきゃな」
 彼らの期待の声が、一瞬にしてかき消える。
 シロプの悲鳴が木霊した。

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5 事件発生
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 悲鳴を聞きつけ、一同が厨房へと向かった。シロプが銀台の前に座り込んでいる。「どうした!」シュガールは慌てた様子でシロプに駆け寄った。厨房にぞろぞろと一同が入り込む。広いとはいえ、十人も集まるとさすがに窮屈だった。シロプが叫ぶ。
「カステイルが一つなくなっているのよっ!」
「な、なんだ。そんなことかい?」
 シュガールが溜め息をもらすと同時に、そこかしこから困惑の声が飛び交った。
「なんだって? 一皿なくなった?」
「一体誰が盗み食いなんか」
「ってことは、誰か食べれない人が出るってこと?」
 誰かが発した一言は、凍える刃となってその場の空気を切り裂いた。
「な、なんだと? 誰か一人だけ、食べれないだって?」
「いやん、そんなの考えられないわっ!」
「俺は絶対食べるぞ! 噂の新スイーツは疾風ハーレム計画のいしずえなんだ!」
「ふっ。盗みか……。騎士の前でよくもぬけぬけと! 許さんぞ!」
 レオンの凄まじい闘気に、ある者は三歩後ずさりし、ある者はその場にへたり込んだ。
「レオン隊長!」
 叫んだのはライナスだった。
「まだ誰かが盗み食いしたとは決まっていないでしょう!」
「何? どういう意味だライナス」
「始めから作り忘れただけなのかもしれません。思い出してください。私たちはあとからあとから、ろくなアポイントメントもとらずにスイール亭へと押しかけてしまったでしょう」
「なるほど、さすがライナスだ。確かにそれはあるかもしれ――」
「断じてありません!」
 金きり声を上げたのはシロプだった。
「私は一流のスイーツアーティストの妻です。お客様の人数と用意するお料理とを把握できないはずがありません!」
「す、すみません……!」
 シロプの剣幕に、レオンもライナスもたじたじである。お菓子作りを手伝った女性陣とゼライドも、人数分のカステイルが準備されていたことを証言した。
「まあまあ……」
 シュガールが汗を拭いながら、シロプの肩をさすった。落ち着きなさいと繰り返した。
「これはいけない」
 これまで一言も発さなかったギンジが、ざらついた声を上げた。
「スイールの職人が数をかぞえ間違えるなんてヘマをするわけがない。それだけは確かだ。まったく、やっかいなお客人だ」
「何が言いたいのかな、用心棒君」
 レオンが猛禽類のような威圧的な視線を送る。ギンジは柳のような流麗な視線で、それを受け流す。
「つまり、お客人を疑うしか道はないということだ」
「……ギルドの軟派男ならいざ知らず、僕たち騎士を疑うとはね。無礼が過ぎるのではないかな」
 周囲の空気が熱を帯び、凝縮していくようだった。レオンとギンジが向かい合う。今にも斬り合いが始まろうかという緊迫感。ゼライドはさりげなく軟派男呼ばわりされたことにようやく気付いたものの、凄まじい剣気に飲まれ、身動き一つとれなかった。
「あのー、すみませーん」
 場にそぐわない、とぼけた声はアーシャだった。
「お菓子を盗み食いした人がいるってだけなんだから、何もそこまで張り詰めなくてもいいとおも――」
「やめなさいアーシャ!」
 アーシャはエリーとクリスに押さえつけられた。
「私たちの大切なスイーツが盗み食いされたなんて、こんな大変なことはないのよ!」
「えー? そんなに大変なことかなあ? っていうか私たちのスイーツじゃなくてスイール亭のスイーツであって――」
「そうよ! もう大変なんだから。アーシャに分かりやすくたとえるならそうね、ライナスさんに恋人が発覚したくらいに大変なのよ!」
「ええっ!」
 アーシャが目と口を丸くして固まった。エリーとクリスは面白がって追い詰めた。
「もうほんとに大変よ? あんた最近体型気にしてたわね? ライナスさんのお相手はモデル級の超美人だって噂よ? あんたみたいにスイーツの試食会なんて参加してたら、絶対に二キロくらい太って――」
『キャーッ!!』
 三人の悲鳴が響いた。
「怖いこと言わないでよ」
「うう、自分で言っておいてなんだけど鳥肌立っちゃったわ。体重のことは今日だけは考えまいとしてたのに」
「ああもううるさい女性陣だ! せっかく格好の良いシーンだったのに」
 すっかり気を削がれたレオンは、髪を撫でつけながらギンジの前を横切った。
「みんな、ひとまずこの用心棒さんに従おうじゃないか。疑われるのは気に食わないが、この中に盗人がいるとなれば、騎士としても許すわけにはいかないからね。そうだろうライナス」
 ライナスは同意し、長テーブルへ戻るよう、皆へ促した。ゼライドは両手を広げて、首を振った。
「くっそー仕方ない。カステイルはドロボーが見つかるまでお預けか」
 会場へ戻りながら、残念がる声が次々と飛び交った。
 アーシャは去り際、厨房の入り口にしがみつくようにして、銀台に並べられたカステイルを見つめてよだれを飲み込んだ。
 真っ白な皿に可愛らしく置かれたカステイルは、黄金色の、一見すると長方形のスポンジケーキのようだった。上面だけが茶色い。あの部分はチョコレートだろうか。シロップだろうか。太陽の色と落ち着いた大地の色。その色彩がなんとも悩ましげにアーシャを誘っているようでたまらなかった。
 皿は八つ置かれている。シロプとシュガールを除いた人数分だ。銀台の奥に四つ、手前に四つ。手前に置かれた左端の一皿だけ、カステイルの姿のない、ただの皿だった。
 アーシャはその、ただの皿をしばらく見つめた。そして去り際、通路奥の裏口へ向かった。
 木製の簡素な造りをした扉は閉まっているが、鍵は開いていた。

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6 犯人探し
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 長テーブルに戻った一同は、さっそく犯人探しに取りかかった。レオンが指揮をとる格好になったが、ギンジはレオンも含め、疑いの目で見ている様子だった。
「さて、一体誰がこんな惨劇を引き起こしたのか、白状してくれないか」
「惨劇って、たかが盗み食いじゃ――」
「黙ってアーシャ君。すんなりと伝統のスイーツを食べられるかどうかが掛かっているんだよ。滅多なことを言うもんじゃない」
「わ、分かりました」
 試食会は一転、事情聴取の様相を呈した。しかし、試食会が始まってからシロプが悲鳴を上げるまで、全員が長テーブルにいたことが証明されただけだった。
 試食会が始まってから厨房へ向かった者はいないのだ。レオンは机に両肘を突き、指を組み合わせて額を乗せた格好のまま、言った。
「シロプさんが悲鳴を上げた時、裏口に鍵は掛かっていなかった――つまり外部犯である可能性が高い」
「レオン殿、それはない」
 ギンジが静かに言った。場の空気が張り詰めたものに変わる。
「拙者は居候だが、レオン殿の言う通り用心棒としての役割も持っておる。この建物に悪意ある者が近寄れば、拙者が気付かないはずがない」
「言い切れるかい?」
 レオンは微動だにせず、訊いた。ギンジの実力を疑っているようにも受け取れる――事実そうなのだろう。その光景を正面から見守るアーシャは緊張で胸が斬り付けられる思いだった。
「言い切れる。拙者が気付かないはずがない」
 レオンはその言葉を聞くと、溜め息をつき姿勢を崩した。
「どうかな、君がどう言おうと、状況は外部の者による犯行だと訴えているがね」
 アーシャは、盗み食いなんて悪意の内に入らないのではないかと尋ねようとしたが、思い止まった。今日はスイーツにかかわる問題はすべて重犯罪なのだろう。
 しばしの沈黙が場を支配した。ギンジが声を落とす。
「あるいは、拙者など及びもつかないほどの手練が犯人であれば、気配を感じさせずに裏口から忍び込めるかもしれん」
「そんな強い悪者がはびこっているなど考えたくないものだね。それに、そんな悪党がお菓子ひときれだけを食べて帰っていくというのだから、笑えるじゃないか」
「ナルホド。それは残念ですな……」
 まったく笑えない様子の声で、シュガールが肩を落とした。
「ど、どうなされた? シュガール殿」
「ナルホド犯人はカステイルを求めて忍び込んだのでしょう。それがただひときれ食べて愛想を尽かしたなんて、こんなに悔しいことがありますか?」
「あらやだ、あなた落ち込まないで……アレスティアの人の好みに、味を整えてあげれば良いじゃないの」
「僕は何も泥棒の味に合わせなくても良いと思いますがね。カステイルはどうか分かりませんが、これまでに食べた全てのお菓子は素晴らしい味でしたし……そう考えると、ドロボー君はよっぽどのグルメか、味音痴かのどちらかかもしれない」
 アーシャはふと、あることに興味が湧き手を挙げた。
「あのすみません。ちょっと気になることがあるので、えーと……厨房へ行っても良いですか?」
「僕は構わないが。用心棒君、ついていった方が良いんじゃないかい? もしアーシャ君が犯人だとすると、証拠を隠滅するかもしれないよ」
「たしかにアーシャ殿なら盗み食いをしても違和感はないが、もし彼女なら私がやりましたと正直に言うだろう。アーシャ殿、行っておいで」
 アーシャはギンジの厚い信頼に複雑なものを感じながら、カウンター奥の通路へと姿を消した。
 ゼライドが我慢しきれない様子で声を上げた。
「なあなあ、先にカステイル食ってからにしないか? 犯人探しはその後でも……ごめんなさい嘘です」
 レオンに睨まれ、ゼライドは縮こまった。
「まったく何を言い出すかと思えば。大体君は不真面目過ぎるのだ。なんだ試食会の言動を聞いていれば。女性女性とふしだらな。僕の隊で心身ともに鍛えてやろうか」
「か、勘弁してください!」
 椅子を突然に引く音がした。レオンのすぐ横の椅子――ギンジだ。
「どうした用心棒さん。急に振り返って、カウンターに何かあったかい?」
「いや、すまない。何でもないようだ。気にせんでくれ」
「そうかい。事件が起きて神経質になっているのではないかな」
「ふむ。そうかもしれん」
 ギンジが溜め息をつくと、一同も打つ手をなくしたといった様子で、長テーブルの中央へ視線を落とす。そこへ、明るい声が響いた。
「お待たせしました」
 いつの間にかアーシャはカウンターの前に立っている。服の裾や膝を手で払いながら、皆に告げた。
「皆さん、どうやら事件は解決できそうです!」
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7 事件の解決
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 アーシャはカウンターの前に立ち、一同を見渡しながらゆっくりと言葉を落としていった。
「皆さん、今回の事件を整理してみましょう。事件の概要は、試食会を行っている最中にカステイルひときれが盗み食いされたというもの。第一発見者はシロプさんです」
 シロプはわずかにうなずいた。
「シロプさんの悲鳴を聞いた私たちは、慌てて厨房へと駆けつけました。裏口は閉まっていましたが、鍵は掛かっていませんでした。そこで外部犯の存在が考えられますが、実はまだ一つの可能性が残っているのです」
「そうか!」
 ゼライドはアーシャ、エリー、クリスへと、立て続けにウインクして見せた。
「俺は閃いてしまいました。今、真実に辿りつきました」
 一同がゼライドに注目する。
「試食会が始まってからカステイル事件が起こるまで、厨房へは誰も近付いていない――ところが、ここに落とし穴があったのです。一人だけ、堂々と厨房に近付いた人物がいます。犯人はあなたです! シロプさん」
 ゼライドはシロプを見つめた。シロプは目を丸くして固まっている。
「厨房に出入りした唯一の人物はあなたしかいないのです――簡単な話でした」
 数秒間、困惑の視線が各々を飛び交った……困った顔をしたアーシャがゼライドに問いかける。
「シロプさんは、何のためにカステイルを?」
「そりゃあプロの料理人の妻として、味を確かめるために……その、つまみ食いをね」
 シロプが声を上げる。
「カステイルは百年の歴史を持つ伝統の味です! 私が主人の腕を疑うはずありません! それに、自分でつまみ食いしたのに、あんな悲鳴を上げますか?」
 その剣幕にゼライドはたじろいだ。救いを求めるように、アーシャに視線を送った。
「……俺、間違いましたかね?」
 アーシャは溜め息をつき、ゼライドを詫びさせた。
「確かに試食会が始まった後で厨房へ近付いた人物は、シロプさん以外にはいません。しかし、彼女にはその動機がありません。彼女はカステイルを食べてもらうことが目的です。全員に食べてもらえないのは、望まないところでしょう」
 シュガールが低い声を落とした。
「ナルホド。するとやはり外部犯が裏口から進入したということですね。そしてひときれだけ食べて、帰ってしまった……」
「シュガールさん。実はまだ可能性がのこ――」
「そうか!」
 レオンが何か閃いた様子で叫んだ。
「アーシャ君、僕もようやく事件の真相に辿りついたようだよ」
 アーシャは溜め息をついた。レオンが続けた。
「この試食会は、スイールのお菓子がアレスティアに合うものかどうか見極めることが目的だった。カステイルの味がドロボー君の舌に合わなかったならそれは残念なことだ。しかし注目すべきはそこじゃない。『試食会の存在を知る者がどれほどいるか』ということだ。みんなも知っての通り、店の入り口には『関係者以外立ち入り禁止』の札が掛けられているだけだ。中で試食会が行われていることは分からない」
 ライナスが疑問の声を投げる。
「しかしレオン隊長。外を見てください。窓が大きくとられていて、外から店内の様子がよく分かるようになっています。ドロボーがそこから覗き込めば、何か試食会らしき催しが開かれていると推測できるのではないでしょうか?」
「ふん。甘いなライナス。ドロボーが窓から覗き込めば、僕が見逃すわけがないだろう」
「拙者も見逃さない」
「確かに窓は大きい。だからこそ、そこから中を覗き込めば僕の顔が目に入るはずだろう。小悪党は逃げ出すに決まっている。いいね? 達人ギンジ氏と僕が見張る状況なら、誰も近寄れないハズなのさ。」
 レオンは「ハズ」という部分を強調した。
「ところが、実際は外部犯がやったとしか考えられない。するとどういった犯人像が浮かび上がるだろうか。犯人は窓から覗きみる必要などなく、試食会が開かれることを知っていたことになる。そしてギンジ氏の警戒に感付かれないほどの強者だ。一見すると実現困難な二つの条件だが、実は一人だけいるのだよ。そしてその人物ならば、僕の存在を恐れることもない――」
 エリーシアが疑問の声を上げた。ゼライドもクリスも同調した。アレスティア最強の男にひるまない悪党など、いるとは考えにくかった。
「悪党ではないということですね? そして、あなたを恐れないということはすなわち、あなたに近しい人物ということだ」
「その通り。ライナスも気付いたね。そう、カステイルを食べた犯人は僕を恐れない。そして強い男――彼しかいない。騎士ゴードンさ!」
 一同に衝撃が走る。
「そんな、騎士が犯人だなんて」
「僕も残念だよ。彼は良き右腕になってくれると信じていたのだが」
 アーシャが咳払いをした。
「コホン。えー皆さん、本当に騎士ともあろうお人が、お菓子を食べるためだけにドロボーなどという愚行を犯すでしょうか。しかも、ゴードン先輩といえば甘い物が苦手だと言ってこの場所へ来なかった人物です。もし何らかの理由でカステイルが食べたければ、堂々と入り口の鈴を鳴らして、途中からでも試食会に参加すれば済むことではありませんか?」
 自信満々だったはずのレオンがうろたえる。
「で、でもねアーシャ君。この状況では犯人は彼しか考えられないわけで」
「何度も言ってるように、まだ可能性はあるのです――もう邪魔しないでくださいね?――ギンジさんの警戒は確かに強力です。悪人が近寄れば、たとえ裏口からでも気付いたことでしょう」
「しかし、拙者は気付かなかった」
「ええ、悪意がなければ、さすがに見逃すこともあるようです。それにもし気配を感じ取ったとしても、振り返った先に誰の姿もなければ、見過ごしてしまっても仕方ありません」
 レオンとギンジは顔を見合わせた。試食会中に同時に振り返ったことを思い出していた。そして先程も、ギンジは誰もいないはずのカウンターを振り返った。
「ついさっきのことです。わたしはこっそりと二階へ上がってきたのです……ホフク前進で」
 アーシャが埃を落とすように、服の裾をはたいた。一同がカウンターへ目をやる。なるほどウインドウ棚の下半分ほどは、木造りの土台によって視界に映らない。
「しかし何のために二階へ?」
「あーっ!」
 甲高い悲鳴が、二重奏で木霊した。アーシャが落ち着いた声を落とす。
「犯人は外から忍び込んでなんかいません。二階から堂々とやって来たのです。悪意なき、背の低き者――そう、猫のプーチンが犯人だったのです! シュガールさん安心してください。プーチンはカステイルが口に合わなかったんじゃありません。大方、ひときれで満腹になってしまったというのが真相でしょう」
 ルーファスとモンナは口に両手を当てて見つめ合っている。どちらもニックネームを巡る競走に夢中で、子供部屋の扉を閉めた記憶がなかった。
「私は二階へ行き、開け放たれた子供部屋を確認してきました。そこにプーチンの姿はありませんでした」
 アーシャは満足気に皆を見渡した。我ながら名推理だと思った。拍手喝采が巻き起こるかと期待したが、皆は大慌てで立ち上がり、ばたばたと駆け出した。
「猫を飼っていたなんて僕は聞いてないぞ!」
「店に来た時ギンジさんが言ってたプーチンって、猫のことだったのね!」
「裏口は閉まってましたから、家のどこかにいるはずです! 急いで捜してください!」
「あらやだ! あんな甘いもの食べたら病気になっちゃうわ!」
 モンナが泣き出し、ルーファスがなだめた。

 人間の食べ物の多くは猫にとって毒になる。結局プーチンは、二階寝室のベッドの下でぐったりしているところを発見された。エリーシアが適切な治癒魔法を使わなければ、命にかかわっていただろう。
 一同が長テーブルの席に体を沈める。
「ああ、疲れたー」
「ちょっとアーシャ、なんでもっと早く言わないのよ! 探偵のまねごとして」
「ううっ……面目ないです。まさかあんな一大事になってるとは」
「ほっほ。なーに、プーチンも無事でしたし。アーシャさんのナルホドな名推理は見事でしたよ――しかし、一体いつからプーチンが怪しいと考えはじめたのですかな?」
「それは、お皿を見た時からです」
「お皿?」
「盗み食いする時って、誰だって盗み食いしたことに気付かれたくないですよね? だったら、普通はお皿も片付けちゃうと思うんです。そうすれば、最初から準備し忘れた形になりますからね。ところがお皿がそのまま残っていたものですから、犯人は何らかの理由で、お皿を片付けられなかったんじゃないかなって」
 得意気に話すアーシャに、エリーシアとクリスがぼそぼそと言葉を交わした。
「それって盗み食い常習犯の考え方よね」
「そうね。アーシャらしいわ」
「――ナルホド! いやお見事でした。さあて、それではメインディッシュのカステイルを食べましょうか」
 一同から歓声が上がった。
「モンナはいつでも食べられますから、今日は我慢してくれるね?」
「うん。そうする!」
「それじゃ、モンナちゃん僕と半分こしよっか」
「おー、ルー君優しい!」
 モンナは首を横に振った。
「ううんいいの。スーさん食べて」
「え? いいよ。半分こしようよ」
「えー、だって……」
「だって?」
「カステイルって太りやすいんだもん」
 女性陣が凍りついた。


(おわり)


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